どもる子どものレジリエンスを育てる
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資料室

講習会の報告

第1回 吃音講習会報告
 ~新たな吃音臨床への招待~
NPO法人大阪スタタリングプロジェクト 坂本 英樹
(スタタリング・ナウ No.218 2012.10 日本吃音臨床研究会発行)
 吃音講習会は、北は青森から南は沖縄まで、事務局スタッフの予想を超える101名、ことばの教室の担当者58名、言語聴覚士20名、保護者6名、当事者10名、その他7名の申し込みがあった。
 盛りだくさんの講習会の報告は、私が講習会から受け取ったものの再構築だが、それが参加者各人の感じたこと、考えたことと共振し、新たな「語り」を生み出すための一助となれば幸いである。
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第2回 吃音講習会報告
 ~自己を語るという経験~
NPO法人大阪スタタリングプロジェクト 坂本 英樹
(スタタリング・ナウ No.232 2013.12 日本吃音臨床研究会発行)
 北は栃木から南は沖縄まで 40名を超える、ことばの教室を主とする教員、言語聴覚士、どもる子どもの保護者、当事者が鹿児島市に集まった。
 冒頭、大会実行委員長の溝上茂樹さん(鹿児島県知名町立知名小学校)は、仲間と出会い、その仲間と語ることを通して、自身の吃音との向き合い方や 吃音観が変わっていったことをあげ、この講習会は「どもる子どもたちと、吃音の何を学び合い、どう取り組むか、参加者の皆さんと一緒に学び合い、 考えていく講習会だが、参加者自身の疑問や考えをプログラムに反映させるミステリーツアーのような講習会です」と挨拶をした。
 この挨拶には昨年、千葉市で開かれた第 1回の吃音講習会がナラティヴ・アプローチの手法に学び、「吃音否定から吃音肯定への吃音の取り組み」 をテーマとした総花的展開だったことを受け、今回は Narrative =語り、物語るとはどういうことかを、どもる子どもはもちろんのことだが、参加者 自身のこととしても追及しようとの意図が込められている。
 第2回の講習会のテーマを「子どもとともに、言葉を紡ぎだす-当事者研究、ナラティヴ・アプローチ、レジリエンスの視点から-」とした理由である。 ...ダウンロードして続きを読む
第3回 吃音講習会報告
 ~吃音とナラティブ・アプローチ~
栃木県宇都宮市立陽東小学校ことばの教室 高木 浩明
(スタタリング・ナウ No.246 2015.2 日本吃音臨床研究)
 「第3回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会」は、2014年8月2・3日、金沢市で「ナラティブ・アプローチを教育へ」をテーマに行われました。基調講演、講義、模擬面接、実践発表と討議といっ た多様なプログラムの中から、今回は斎藤清二・富山大学保健管理センター長と伊藤伸二さんの対談の一部を報告します。
それは、ここでお二人によって語られたことが、現在の吃音を取り巻く状況の中で、私たちが戸惑い、疑問に感じていることへの明確な解答となっている、そう強く思われるからです。
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第1回 講習会資料

子どもの幸せにつながる吃音否定から吃音肯定の吃音臨床 日本吃音臨床研究会 伊藤 伸二
はじめに
 私は3歳ころからどもり始めたようですが、小学2年生の秋までは、吃音を全く意識することなく、明るく活発に、元気で楽しく学校に行っていました。ところが、秋に状況は一変しました。学芸会で、楽しみにしていたセリフのある役から、担任教師からの何の相談や説明もなく、外されたのです。吃音以外には理由が考えられません。教師から「吃音否定」された私は、そこで初めて自分がどもることをマイナスに意識しました。強い劣等感をもって、苦しい学童期、思春期を生き、21歳の夏まで、吃音に支配された苦悩の人生を生きました。
 21歳の時、吃音治療機関で、必死で治す努力をしましたが治らなかったために、吃音は治らないものだと、治すことを諦めました。「吃音否定」から「吃音肯定」に大きな転換をすることができました。どもる事実を認め、どもりながら生活する中で、私の吃音に対する考えも、感情も大きく変化し、吃音の呪縛から解放されました。
 私のこの体験をもとに、「吃音否定」から「吃音肯定」の臨床を提案します。
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ナラティヴ・アプローチ的吃音臨床の提案 日本吃音臨床研究会 伊藤 伸二
はじめに
 アメリカの最新の治療法と言われる、バリー・ギターの統合的アブローチの流暢性促進技法の「そっと、ゆっくり、やわらかく」は、1903年から始まった伊沢修二・東京音楽学校校長(現在の東京芸術大学)の楽石社の技法とほぼ同じだ。
 その後、同じような方法の民間吃音矯正所ができ、大勢の人が訪れた。しかし、この話し方は、矯正所ではできても、実生活ではできず、ほとんどの人が失敗した。当然の結果として、1980年ごろには、ほとんどの民間吃音矯正所が、廃業を余儀なくされた。にもかかわらず、アメリカなどの言語病理学は、効果ない言語指導に見切りがつけられず、また、新たな指導法を見つけられずに、言語訓練を吃音の唯一の治療法だとして、続けようとしている。「吃音を治す・改善する・吃音をコントロールする」立場に立った指導の効果がない現状は、カナダの吃音事情についての、池上久美子さんの報告に詳しい。(資料参照)
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吃音をめぐる豊かな「語り」の世界への招待 NPO法人大阪スタタリングプロジェクト 坂本 英樹
 「吃音否定から吃音肯定への吃音の取り組み」と題されたこの「第1回 親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会」を貫くキーワードは、「ナラティブ・アプローチ」である。耳慣れない言葉かも知れないが、心理や福祉、社会学などの分野で近年、注目を集めている考え方、理論である。
昨年の秋、滋賀県での日本吃音臨床研究会主催の「第17回 吃音ショートコース」は「当事者研究」をテーマに、北海道の浦河から精神障害をもつ人たちのコミュニティである「べてるの家」の向谷地生良さんを迎えてのものだった。それは向谷地さんの紹介する精神障害の当事者が紡ぎ出す言葉、語りとどもる当事者からの発言、語りとが共振した刺激的な二泊三日であったのだが、参加者が経験したのはある語りが、次の語りを生みだし、そこに新たな意味が見出せるという地平であった。私たちはどもる当事者の経験がべてるの家の人たちの経験とつながることができたとの思いをもつことができただけではなく、他のさまざまな領域で活動している当事者ともつながることができるとの確信から、ナラティブ(Narrative=語り、物語)を切り口として、今回の講習会を開催することとしたのである。この考え方を用いることで、各地の「ことばの教室」での取り組みや現在はNPO法人大阪スタタリングプロジェクトが開いている、40年以上の歴史をもつ「大阪吃音教室」での活動に新たな視点から迫ることができるだろう。また、この講習会の参加者の思いをつなげることもできるのではないかと考える。
 本稿は、私自身が参加している大阪吃音教室や「吃音親子サマーキャンプ」などを題材として、ナラティブ・アプローチの基本的な考え方や技法を紹介することにある。
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ありのままを生きるというかたち 奈良女子大学名誉教授 浜田 寿美男
0 世の中には「支援」や「援助」があふれているけれど……
 発達途上の子どもたちや障害をもつ人たちを「支援」し「援助」するという言い方は、一見非常に分かりやすく見える。しかし、そこにはある錯覚がつきまとっている。この「錯覚」の怖さは、世の中のほとんどの人が「錯覚」すれば、その「錯覚」こそが「現実」となって、「世の中」を支配するというところにある。
 ここでは学校年代の子どもたちについて、その「支援」「援助」を考える
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『吃る子どもへの働きかけ』 宇都宮市立雀宮中央小学校 髙木 浩明
100分の3
昨年、校内の6年生100名に、吃る子どもたちの思いや願いを伝える授業を行った。その中で、吃る・吃音ということばを知っているか尋ねると、意味も含めて分かっていたのはわずか3名だった。ところが、連発や難発など吃る様子を説明すると、そういう話し方の人に会った、テレビで見たという児童が86名になった。友だちや部活の後輩、お店に来るお客さん、外出先や親の勤め先など様々な場で出会ったという子どもたちにとって、吃る人は決して遠い存在ではない。吃る話し方に気付いていても、それを何と言えばいいか分からない、そんな子どもたちの姿がそこにある。
ところで、『吃音者宣言』(1976)には、7000人の小・中学生に「どもりの人やお友だちをどう思いますか」と質問した結果が載っている。当時は「どもる」ということばを、誰もが普通に使っていた。吃る人を見て「あの人は吃っている」と理解できたことが、このことから分かる。
成人吃音者から、子どもの頃「どもり」と馬鹿にされた悲しさや悔しさをたびたび聞く。ことばを知っているが故に、からかったり、いじめたりする場合もあるだろう。けれど現在は、まわりの友だちはもちろん、吃る子ども自身も自分の話し方を何と言うか知らずに、何なのか分からずに、ただ話し方をまねされたり、からかわれたりしている。そして、友だちと同じように話せないと一人不安に感じている。吃る事実はあってもそれを表現することばが存在しない世界に、吃る子どもたちが生活しているとすれば、それは何とも不安定で、危うい状況とは言えないだろうか。
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吃音や自分と向き合う子どもの育成 千葉市立あやめ台小学校 渡邉 美穂
はじめに
吃音は、吃音症状だけの問題ではない。私は子どもたちが、どもることを認め、吃音と自分と向き合いながら、生きぬく力を育てることが大事であると考えた。教材として扱った「どもりカルタ」の学習などを通して自分と向き合えるようになった子どもたちの様子を紹介したい。
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吃音と向き合い,つき合うことを目指して 愛知県岩倉市立岩倉南小学校 奥村 寿英
1 はじめに
 岩倉市は名古屋市の北約10kmに位置し,人口は約4万8千人で小学校5校,中学校2校の小さな市である。岩倉市ことばの教室は2003(平成15)年に開設され,以来小学校を中心に自校通級と巡回指導を行ってきた。
 平成24年3月現在,通級する子ども19名のうち,4名の子どもに吃音がある。この数字は開設以来,多少の増減はあったものの,ほとんど変わっていない。
 本市には,保健センターや母子通園施設はあるものの,学齢期の子どもが利用できる通所施設や療育施設はない。来室する子どもは,それまでにどこにも相談に訪れることなく,ことばの教室に来室するケースがほとんどである。吃音で来室する子どもとその保護者も,吃音に関する予備知識がほとんどない状態でやってくる。ことばの教室は,相談窓口としての役割と,言語指導の場としての役割を担っている。この10年間,ことばの教室の担当者として吃音のある子どもに同行してきた。吃音についてどう考え,どもる子どもとどうつき合ってきたのか,その経緯を報告する。
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語ること 大阪スタタリングプロジェクト 会長 東野 晃之
ことば文学賞は、今年第15回を迎える。吃音と共に生きる体験を皆で共有したい、吃音やことばについて多くの人と語り合いたいと、毎年、詩や随筆、体験記などを募集し、たくさんの作品が集まった。設立40周年記念文集として刊行した「吃音を生きる」~吃る人々の体験集~には、主にことば文学賞の入選作を編集し、掲載した。「吃音を生きる」は、大阪吃音教室の新しい参加者に渡される資料となっている。
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ことばの教室での語り合い 千葉市立あやめ台小学校 渡邉 美穂
はじめに
私は、これまでことばの教室でどもる子どもたちと個別やグループで話し合いの場をつくってきた。はじめは、こちらが質問をして、それに答えるようなやりとりであった。グループ学習でも、一人の意見に質問をすると、その子とのやりとりだけで、他の子は、その様子を聞いているだけであった。しかし、最近では私抜きで子どもたちだけで、どんどん話が進んでいくことが多い。私の役割は、話題と場の提供で十分なのではないかと感じるほどである。最近、この状況に慣れてしまったが、どんどん語りあっていく前はどうだったか振り返ってみたいと思った。なぜ、そう思ったかというと私のことばの教室にいる子は「特別」であると思われていたからである。「うちのことばの教室の子どもたちは、まだ話し合う段階まできていない」とか「大丈夫といって、吃音の話題で話そうとしない」という声を聞く。確かに、話し合っている子どもたちの内容を聞くと、本当にすごいなと感心するような発言が飛び交っている。しかし、はじめからではないし、この子たちは「特別」ではないと言いたい。
 吃音について語り合っている子どもたちから「個別とグループは、両方必要。みんなや先生とどもる話ができるのが楽しい」「前は、友だちができるとか、仲良く遊べることがうれしかったけれど、今は語り合えることがうれしいし、楽しい」と言われた。このように、語り合いがことばの教室で行われることが大事であるし、子どもたちの望みであることがわかった。
 では、「特別」な子どもではなく、吃音の話題をしない子どもたちと語り合うためには、どうしたらよいかを考えたい。いくら話し合いや語り合いが大事であるとわかってもやり方がわからない場合の一例として取り組み方を紹介したい。私が、グループ学習を始めた頃などの状況を思い出しながら学習の手立てを考えて、あることばの教室での実践の様子を紹介したいと思う。
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育児書における「どもり」の記述について NPO法人大阪スタタリングプロジェクト 坂本 英樹
 子どものどもりに気づいたとき、親として最初に何らかの知識、情報を得るための手段として「育児書」の存在があげられる。育児書にはその社会で育まれてきた子育てに対する先人の知恵と最新の医学的知見が示されていると理解されているから、親に与える影響は大きいものがあるだろう。
 この資料は育児書のなかの吃音に関する記述を紹介し、執筆者の吃音に対する考え方を考察することを目的としている。取り上げる育児書は2冊、いずれも定評のあるものである。
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第2回 講習会資料

異文化体験としての吃音
―ナラティヴ・アプローチと当事者研究―
九州大学留学生センター准教授(臨床心理士) 高松 里
(1)はじめに

 私は、九州大学留学生センターで、留学生を対象としたカウンセラーをしています。日本では珍しい仕事です。この仕事を始めたのが 1989 年でしたので、22 年間続けていることになります。
 その中で、「異文化とは一体何なのだろうか」という大問題をずっと考えてきました。みなさんは、「異文化」と聞くと、おそらく外国の、日本とは全く違った顔をした人々、考え方、文化や習慣といったものを思い浮かべるのではないかと思います。つまり、異文化は日本の外にある、と。
 しかし、実際は違うのではないかと私は思います。
 私たちは日常生活の中で、現実には多くの異文化に取り囲まれて暮らしています。普段は意識しないかもしれません。でも、ある日突然異文化が姿を現す、ということもあります。
 例えば、昨年(2011年)3 月 11日の大震災はどうでしょうか? それまでの「日常」が地震と津波によってすべてが塗り替えられてしまいました。家も、人も、人間関係も、仕事も、大事にしていた思い出も、すべて一瞬にして消えてしまいました。その時の経験は、「とても言葉にできない」「どう言ったらいいかわからない」「頭が真っ白になった」経験だったと思います。
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人(子ども)との関わり、自分自身との関わりを考える 国立特別支援教育総合研究所 牧野 泰美
1 はじめに

 東北から関東を広く襲った未曾有の大震災。その被害の大きさに胸が痛む。加えて、原発事故も重なり、本当に多くの人の生活を奪い、脅かしている。本稿執筆現在(2011.3.30)、死亡が確認された人、届け出があった行方不明の人の数は増え続け、被災地の状況等も連日テレビ画面に映し出されている。一方で、支援の輪は拡がり、多方面から、一人じゃない、仲間がいる、等々のエールも送られている。各々が自分にできることを問い、行い、つながっていくこと、支え合っていくことは本当に大切なことである。「あなたはひとりではない」は、被災された人にとっても、今、まさに必要なメッセージだと思う。
 こうした非常時にも、多くの人が意識しにくい、少数かもしれない人や事象に思いをはせること、想像力はなくしたくないと思う。報道番組で流れる、体育館に避難している人や子どもたちの様子、困難な状況の中で手作りで行われる卒業式や、学校・クラスの仲間で励まし合っている姿等を見る につけ、被災地にいる不登校やひきこもりの状況にある人にとってはまた別の困難、苦しさがあるだろうと感じるし、人とのコミュニケーションや、人と接することに難しさを抱えている人、放送や指示の内容を把握すること・理解することが難しい人、見通しが持てないことに不安の強い人、変化に非常に敏感な人、補聴器の電池がなくなった人、等々、何らかのハンディのために避難生活に困難を抱える人も少なくないと思う。
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子どもと語る、肯定的物語 ~吃音を生きて、見えてきたこと~ 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二
はじめに

 吃音については、様々な考えがあります。「吃音に悩み、治したいと考えている子どもに、完全には治らなくても、少しでも吃音の症状を改善し、軽減してあげることが、ことばの教室、言語聴覚士の役割ではないか」。これが一般的で常識的な考えでしょうか。「吃音を治す、軽減してあげる」ことが、その子どもの幸せにつながるという考えです。
 しかし、学童期・思春期を吃音に深く悩み、21歳の夏から、吃音と向き合い、48年間、吃音一色の人生を送り、たくさんのどもる人、どもる子どもの人生につきあってきた私は、このようには考えません。
 私が「吃音を治そう、軽減しよう」と、吃音の症状にとらわれ、かえって吃音の悩みを深めた経験があるからです。多くの吃音の当事者の経験から、私たちは、40年前に「吃音を治す、改善する努力をするのはやめ、自分らしく豊かに生きるための、人間としてまっとうな努力をしよう」と提案をしました。
 「吃音を認めて生きることと、少しでも吃音の症状を軽減することとは両立する」と考える人からは、私の考え方は、狭い、偏った考え方だと思われるかもしれません。しかし、私たち凡人はそんなに器用ではなく、吃音を治そう、改善しようと考えると、「吃音は治るかもしれない、もっと軽くなるかもしれない」「吃音が治ったら、改善したら、何々しよう」とつい考えてしまいます。だから、将来治るかもしれないことを考えず、今の状態のままで、いかに楽しく、豊かに生きるかを考えようと提案してます。
 1965年の夏、21歳から始まった吃音探求の私の旅は、多くの人と出会い、たくさんのことを学び、今、最終目的地にたどり着こうしています。当事者研究、ナラティヴ・アプローチ、レジリエンス、リカバリーという4つの概念で、これまでの私たちの取り組みを整理し、新たな取り組みを始めようとしています。しかし、結局は私が40年前に、考え、到達した「吃音はどう治すかではなく、どう生きるかの問題だ」の確認の旅でした。
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吃音の当事者研究
~大阪吃音教室のナラティヴな実践を通して~
NPO法人大阪スタタリングプロジェクト 坂本 英樹
長い前書き
吃音との出会い
 題名に続く私の所属がいささか長いものになっている。私はどもる子どもの親であり、そのことが縁で、NPO 法人大阪スタタリングプロジェクトのメンバーとなった 50 歳の高校の教員である。
 現在、中学 2 年の娘が小学校 5 年の秋に「音読ができない」と訴えてきたことが、私と吃音との出会いとなる。娘の示す状態が「どもり」と呼ばれるものであるということが理解できなかったときの不安、いや私以上に自分の状態を説明できる言葉がなくて不安にさいなまれていたのは娘自身であったろう。音読や暗唱、発表に積極的であった娘の「読めるのに読めない」、「明日も先生に当てられて、またつまる、皆に笑われる。同じところでつっかかって、読み直しをさせられる」という訴えが、「予期不安」や「場面恐怖」、「吃語恐怖」という言葉で理解、説明できることを知ったのは、日本吃音臨床研究会の伊藤伸二さんの著作を通してのことであった。本からの知識を得るに従って、私は娘の成長過程のいくつかのエピソードが吃音ということでつながっていくことを経験していった。
 そんなある日、私の机上に山積みとなった伊藤さんの本を見て、娘が「どもりと書いてある本は、私のことなの? 治るの?」と聞いてきた。私の「そうや、つまると言っている話し方をどもりと言うんや。治らんようやけど、何か向き合い方みたいなのはあるようやで」という返答に、娘は一瞬口をゆがめて悲しそうな表情を見せたが、自分の状態を説明できる言葉を知ったことで、得体の知れないものから解放されたのか、少しほっとしたようにも見えた。こうして話し合えるきっかけを掴んだことで、吃音と向き合う私たち家族の歴史、物語が始まった。
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第3回 講習会資料

セルフヘルプグループの活動を通して得たもの
第一回吃音問題研究国際大会(1986・京都)基調講演
日本吃音臨床研究会 伊藤 伸二
治す努力のもたらしたもの
 日本における吃音問題解決の歴史は、吃音と吃音者を分離し、吃音にのみ焦点をあてた歴史でありました。
 吃音問題は、吃音といわれる症状そのものであり、それを治すことが全てでした。私たちの現在の生活、人生観、将来への展望など吃音者の問題は放置され、全ての吃音者が一律に呼吸練習や発声練習を中心とした治療を受けました。
 吃音は治すものであり、治さなければ有意義な人生は送れないという、一般社会通念もゆきわたっていました。当然、吃音者は吃音が治ることを夢みました。多くの吃音者は「どもりは必ず治る」と宣伝する民間吃音矯正所を訪れました。歌のようにゆっくり話す発声練習によって吃音症状が消失したり、軽くなったことは事実あります。しかし、そのほとんどが、しばらくすると再発しました。
 治療をして吃音者の吃音が治らなかった場合、一般的に治療者は、治療法そのものは問題はないと考えます。治らなかったのは本人の治す熱意が、努力が足りなかったからだと考えます。一方、吃音者も、自分の努力が足りなかったからだと考えます。もっといい治療法があれば、またもっと努力すれば、と治療を求めて転々と、また何度も同じ矯正所を訪れ、ますます悩みの中に入りこんでいくのです。
 なぜ自らの努力不足を責めるほどに吃音者は自己の努力を過少に評価するのでしょうか。また、実際に努力できないのでしょうか。それは、治療そのものが単調でおもしろくなく、どれだけの期間、どの程度すればよくなるのか、全く見通しが立たないためです。
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吃音の現象学にむけて
~ナラティヴ・アプローチが開く、どもる人たちの世界~
NPO法人大阪スタタリングプロジェクト 坂本 英樹
はじめに
大阪吃音教室と出会うまで
 2010年12月16日(金)、この日が私と大阪吃音教室との出会いの日である。きっかけはこの年の秋に遡る。当時、小学校5年生になる私の娘が突然、どもりだしたのである。いや、正確には幼少期からどもっていたのだが、私たち家族は音の繰り返しや引き伸ばしは一過性のものであると考え、どもりであるとは認識していなかった。実際、彼女の示すことばの状態はいつの間にか親の目からは見えなくなっていったのであるから。その娘が突然、小 5 の秋に「音読ができない、読めるのに読めない」と言って、毎晩のように実に悔しそうな顔をしてしくしくと泣き出したのである。「落ち着いて、リラックスして読んでごらん」というお決まりの対応をおろおろとしていた私たちが、「まるでことばが詰まっているようだ。これはもしかしたらどもりというものなのか?」と気づくのにはしばらく時間がかかったように思う。
 吃音について初めて読んだ本が、水町敏郎さんと伊藤伸二さん編著の「治すことにこだわらない、吃音とのつき合い方」(ナカニシヤ出版 2005 年)である。この本によって、私は娘の「明日も音読であてられる。つまってみんなに笑われる」という訴えが、「予期不安」や「場面恐怖」、「吃語恐怖」という言葉で説明できること。私には思いに言葉が追いつかない、それでも伝えたい一所懸命さとして微笑ましく映っていた、娘が自分の考えや気持ちを伝える時によく手を振りながら話す行為が「随伴運動」であったことなどが、ようやく理解できた。それは電話に出るのを嫌がるというような娘の成長過程のいろいろなエピソードが、吃音という視点を通してつながっていく経験だった。次に手にした伊藤さんの「どもる君へ いま伝えたいこと」(解放出版 2008 年)は直接的には子どもに語りかける本でありながら、親にとっては子育て論、教員にとっては一級の教育哲学の書であろう。気がつけば集められる限りの伊藤さんの本が机上に並んでいた。
 大阪吃音教室のホームページも見るようになった。いろいろな実践の雰囲気を知るためにも、一度くらいは覗いてみようと思っていたところ、当初の予定を変更して伊藤さんを担当に「認知行動療法」の例会を行うとの告知を見つけた。なぜか、「これは参加しろということなのだろう」との直観があり、当日は既に先約があったのだがそちらをキャンセルして参加したのが始まり。以来ほとんど皆勤に近い形で参加するようになったというのが、いささか長い私自身のプロフィールである。
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セルフヘルプグループの活動実践とナラティブ・アプローチ NPO法人大阪スタタリングプロジェクト
会長 東野 晃之
 発達障害学生支援にナラティブ・アプローチの実践が積み重ねられている。
支援者は、① 学生の自己理解、② 自分に合った対処法の実践 ③ 自己擁護スキルの獲得等の学生自身の主体的な動きを導き出すことに支援の大きな目標に置き、心理的教育的観点からの支援を行っている。
(富山大学保健管理センター 季刊 ほけかん2013・12 NO61 より引用)

 セルフヘルプグル―プのミーティングなどの活動実践から、ナラティブ・アプローチが支援の目標とする① 自己理解 ② 自分に合った対処法の実践 ③ 自己擁護スキルの獲得等について考えたい。

否定的な経験の意味づけから肯定的な意味づけへ
 NPO法人大阪スタタリングプロジェクトのミーティングである大阪吃音教室では、吃音の当事者が、吃音とのつき合い方を学び、吃音体験を語り合うなかで、自分への気づきを高め、吃音に対する受け取り方、考え方を変え、積極的な行動へと変わる。この感情、思考、行動面においてあまり吃音に影響を受けなくなるとは、否定的な経験の意味づけによる自己の物語が、学びと語り合いによって自己理解を深め、また実際に行動し、吃音と上手くつき合えた経験を通じ、これまでの経験の意味づけが変わり、自己の物語を再構築したといえる。
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吃音について考え、表現する活動への取り組み
~ナラティヴ・アプローチと当事者研究の視点から~
鹿児島県知名町立知な小学校 溝上 茂樹
1 はじめに
 大学を卒業し、一度は一般企業に就職したどもる私が、教員になり、さらにことばの教室の担当を目指そうとしていた当時、私自身は、どもることにジレンマを感じ、まだ劣等感も持っていた。ただ、そんな自分だからこそ、どもる子どもたちをそのまま受け止められるのではないか。今のままの私が教員になることで、「どもって気にすることがあっても、大丈夫」、「話すことの多い先生にもなれる」、「どもりながら、いろいろなことができる」と、子どもたちに伝えられるのではないか。さらに、どもりを受け入れようとしつつも、まだ迷いのある私自身を、前に進めてくれるのではと思っていた。
 田舎の小さな学校に通っていた私は、まわりから、ごく自然にどもることを受け入れられ、いじめや、からかいもなかった。そのためか、どもる毎日の中で、嫌だなあ、治らないかなあと思っても、それが強い劣等感や、辛さにはならなかった。どもりは簡単には治らなそうだし、子どもの時代はどもっていてもいいが、将来に対しては、どもることを漠然と恐れ、しゃべることが多い仕事、たとえば学校の先生は無理だと思うなど、自信のない、不安でいっぱいだった。
 教員になった私は、クラスの子どもたちには「先生、どもるんだ」と伝え、卒業式で言いにくい子どもの呼名に苦労する経験をしながらも、何とかやっていた。ただ、どもっている自分を認めつつ、教員をしていることが自信に繋がらなかった。
 そんな中、日本吃音臨床研究会主催の「吃音親子サマーキャンプ」へ参加したことが、私の転機となった。このキャンプには、生き生きと自分のどもりを語る子どもに加えて、スタッフとして参加した大人たちの同じように語る姿があった。話し合いや作文、劇などキャンプの柱となっている活動を通して、子どもも大人も自らのどもりと向き合い、しっかりと悩み、自分の問題として取り組んでいることが分かった。その自分のどもりをありのままに口に出し、どもっても大丈夫と自然体で生きている姿に、何とも言えない魅力を感じ、心を揺さぶられた。子どもたちは、それまで私が考えていたような、かわいそうな弱い存在ではなかった。むしろ尊敬できる存在だった。大人である私も、あんなふうにどもりたいと思える魅力的な子どもたちに出会ったことで、自分の進む方向に確信を持った。
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どもる子どもと、ことばの教室の卒業を考える 千葉市立院内小学校 渡邉 美穂
1 はじめに
 本校のことばの教室には、11 名のどもる子どもたちが通ってきている。それぞれ個別に週1回の学習と、全員が集まる月1回のグループ学習を行っている。グループ学習では、1年生から6年生の子どもたちが、やグループ学習で吃音を話題にした話し合いや、表現活動を中心に取り組んでいる。それの中で子どもたちが、自分や吃音について「語る」ことを大切にしている。
 これまでの活動や学習を通して、ことばの教室を「卒業」することは、どのようなことなのかと個々に考え、取り組んでいることを紹介する。
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吃音や自分と向き合い、考え、そして語る
~子どもの「どもりカルタ」を通して~
千葉市立あやめ台小学校 黒田 明志
1 はじめに
 ことばの教室の担当になって5年目。右も左も分らなかった自分が何とか今までやってこられたのは、たくさんの子どもたちとの出会いがあったからだ。構音障害、吃音、言語の遅れ等と言った表面的に見られる課題は、種類や程度の差も子どもによって様々だが、その多くに共通してあるものが自己肯定感の不足や自分への自信のなさと言った内面に潜む課題である。いくら表面的な問題をなくすことができても、子どもが自分を認める気持ちにならなければ、それは解決したことにはならない。逆に、子どもが今の自分を認め、ありのままを受け入れることができれば、目に見える課題も自ずと変化をしていく。そのためにも、1対1のゆったりとした時間の中で子どもとの語り合いを大切にし、子どもの頑張りや良いところを伝えていくように心がけている。
 このように私が考えることのきっかけとして、ある男の子との出会いがあった。当時彼は小学2年生、私は教師1年目の新米で指導のイロハすら分からない状態であった。彼には吃音があった。私にも吃音があったが、最初はそのことを2人で話すことすらできなかった。そんな彼も今では6年生となり、自分のことや自分の吃音について語れるようになった。今回、彼と歩んできた5年間を振り返りながら、彼と私が何を考え、そして何を語ってきたのか、その実践をまとめていきたい。
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ことばの教室で子どもたちが話してくれたこと
―自分の問題を外在化する取り組みの中で―
宇都宮市立陽東小学校 髙木 浩明
 今春異動した学校のことばの教室で、どもる子どもたち8名(継続6名、新規2名)との出会いがありました。ここでは、その中の6人の子どもたちと行った取り組み、自分が苦手とすることや、自分の生活に影響を与えている問題、不安に感じていることに名前を付けて、それをテーマに話し合う中で、子どもたちがどんなことばや思いを伝えてきたか、まとめていきます。

1 A君と「STOP君」
①しんどい体験
 4月からことばの教室に通い始めたA君は、小学校2年生の男子。家族や友だちと活発に会話し、ことばの教室でもこちらの問い掛けにはきはき答える姿が見られます。その彼が、強い苦手意識を持っているのが、発表場面です。
 彼には、しんどい体験がありました。1年生の2学期、彼のクラスでは日直当番の児童が朝の会で1分間スピーチをする活動が始まりました。A君にとっては、好きな食べ物や遊び、将来の夢といったテーマについて、話す内容を考えることは、それほど難しいことではありません。ところが、自分がスピーチしようと、クラスのみんなの前に立った途端、声が出なくなったのです。何とか話そうと、深呼吸したりする。けれど、いざ話そうとすると声がでない。これまでにも、ちょっとことばが出ないことはあったけれど、ここまで話せなくなるのは初めてです。冷や汗がでてきました。恥ずかしい気持ちでいっぱいです。
 とうとうその日は話せませんでした。そして次の日、再挑戦しようということになりました。彼は家に帰って、何度も練習しました。その時は、ちょっとどもることはあっても、話せなくなることはありません。けれども、翌日の朝、また同じ状態になりました。彼自身が諦めたくない、そんな気持ちを先生に伝えたこともあり、さらに翌日、今度は作文を読む方法でリトライします。それでも、上手くいきません。
 その数日の間も、友だちや先生とあいさつしたり、おしゃべりしたりはできました。算数の授業で、答えも言えました。けれど、このスピーチだけが上手くいかない。そして、そうまで辛い思いをして1分間スピーチをする必要があるのか、そんな本人や保護者の思いもあり、この時だけでなく、それ以後もこの一分間スピーチにはトライしませんでした。ただ、彼の中には、発表することに対しての恐怖心と、強い苦手意識が残りました。
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第4回 講習会資料

子どものレジリエンスを育てる 筑波大学副学長・筑波大学附属学校教育局教育長 石隈 利紀
自分を育てる
•ナンバーワンよりオンリーワン
•人とつながる オンリーワン
自分なりにつながる力
自分の強み・特徴を使う
ツールを使う
援助資源(例:ハブ)を使う
☆自分を探すより自分を育てる

・なぜ「非行」の子どもを援助するか~私には幼い子どもがいる。私の子どもの将来(の社会)を支えるのは、この子どもたちだから(アメリカ、ガイダンスカウンセラー)
・なぜ個別の支援計画作成のチーム会議に子どもを参加させるか~子どもが自分の人生に責任をもつから(スウェーデン、特別支援学校コーディネーター)
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どもる子どもの親と臨床家のための吃音相談会 日本吃音臨床研究会 伊藤 伸二
●ぜひ聞きたいこと
寺田:今、子どもは4歳ですが、1年前からどもり出しました。保健師に相談したら、自然にふるまうようにと言われました。
意識させるとどもり続け、治らないので、自然に接すれば、そのうち自然に治ると言われたんですが、本当にこれでいいのか、親として他にすることはないのかと思いました。
親ができることを教えて欲しい。
伊藤:かつて、吃音は、自然治癒率が80%と言われた時代が長く続きましたが、それは半分事実で、半分違います。小児科の医師や保健師などから、 「そのうちに治るから心配しすぎないように」と言われ、そう信じてきたけれど、小学校入学前になっても治らないという相談が実に多いんです。自然に消える確率は、研究者で大きく数値が違います。
言語聴覚士の専門学校で吃音について書かれた新聞記事を見せますが、みんなびっくりしています。
日本の一流と思われている吃音研究者の間でも、ほとんど一過性のものだから心配はいらないという人から、治癒率が 80%、50%、10%とあまりにも違いすぎて驚きます。
45%程度が妥当なところだと考えていいと思います。
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つながりのちから 吃音親子のつどい「ほおーっと」同行人 桑田 省吾
はじめに
 「どもる子どもに果たして支援は必要か?」「もし必要ならば子どもたちはどのような支援を求めているのか?」・・・そのような「問い」を持ちながら、神戸でも学校や幼稚園で、 また通級教室や家庭でどもる子どもへの支援の試行錯誤がなされてきました。
 その中でどもる子ども自身(個)への支援以上に重きが置かれるようになったのが「仲間との出会いの場作り」や「幼児から成人までのつながり作り」であり、 それを実現できる取り組みのひとつとして「親子のつどい」などの「場」が注目されてきました。
ここでは街の集会施設を利用して学期に1回行なわれてきた「親子のつどい」の中で感じてきたことを紹介します。
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それぞれの思い 元聾学校教員・どもる人 佐々木和子
大学1年 佐々木大輔
我が子がどもった
 私の息子大輔は3歳6ヶ月になったある日突然どもり始めました。バスが大好きで車窓から見えるバス停をいつものように唱えていた時「新敬川」のバ ス停の前で「しんうううううやがわ」とつっかえたのです。
このつっかえに私は動揺しました。「まさかどもったのでは・・・」という不安の中で「今のつっかえは何かの間違いで、次に話す時はいつも通りに話せるだろう」と、信じようとしました。
しかし、この一言をきっかけにして、息子は話すことば一言ひとことにどもるようになりました。
「なぜ?」「今まで流暢に話していたのにどうして話せなくなってしまったの?」と、私はその事実を認めることができませんでした。
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子どものレジリエンスをどう捉えるか 宇都宮市立陽東小学校 髙木 浩明
レジリエンスの7+3の構成要素
 レジリエンスがどんな要素から成り立つのかは、様々な考え方が示されている。例えば東京学芸大学の藤野博は『発達障害の子の立ち直り力レジリエンスを育てる本』の中で、 レジリエンスがある人の心理的な特徴として、新奇性追求、肯定的な未来志向、感情調整の3要素をあげている。
それ以外にも自尊心、楽観的思考、感情のコントロール、違いを認めること、肯定的な人間観、必要な情報収集などがレジリエンスには必要といった報告がある。
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補足資料:吃音に関するレジリエンスの7つ+3つの構成要素
吃音の現象学にむけて NPO法人大阪スタタリングプロジェクト 坂本 英樹
はじめに
ある日の大阪吃音教室から
 大阪吃音教室は金曜日の夜に大阪市内の会場で前期 20 回、後期 20 回の計 40 回、年間を通して運営されている。 久しぶりの参加者の近況報告や初参加者の疑問や質問に応える形で例会は始まっていくが、事前に立てた年間計画に従い、毎回テーマを設定して展開されていくのが特徴である。 これはあくまでも私個人の印象ではあるのだが、現時点において今年度一番の盛り上がりを見せた例会は、5 月 8 日の「1分間スピーチ」だったと思う。
 人によって話す、読むスピードはさまざまであろうが、1 分間は原稿用紙 1枚分、400 字程度の情報量である。 そして、400 字はまとまったことを一つ伝えることのできる分量である。 テレビ、ラジオが一つのニュースに使う時間は30秒から1分くらいであるという。 つまり、1分間スピーチは相手に端的に伝えたいことを伝えるための、伝え方や話の要点を整理するアクチュアルな実践なのである。 どもる人の中には話すことを苦手と感じ、どもる、どもらないということに意識が集中してしまい、話の内容自体が人に伝わりにくく、乏しくなったという経験をしたこともあるだろう。 1分間スピーチは話の内容自体を磨くことを心がけようというコミュニケーション能力を高めるための例会である。
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吃音の夏 第一弾報告 「スタタリング・ナウ2015.8 №252」より
吃音の夏 第一弾報告 回 親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会
「スタタリング・ナウ2015.8 №252」より
第4回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会が、8月1・2日、東京・池袋の帝京平成大学で開催されました。 「子どものレジリエンスを育てる」をテーマに、筑波大学副学長の石隈利紀さんを講師に迎え、遠くは沖縄、鹿児島、島根、宮城、山形など広い範囲から79名が参加しました。 ことばの教室の教師、言語聴覚士、どもる子どもの保護者など、それぞれの立場からの率直な思いがあふれた有意義な2日間になりました。 ...ダウンロードして続きを読む
第4回吃音講習会 報告 NPO法人 大阪スタタリングプロジェクト 坂本 英樹
はじめに
 私たちは、ことばの教室や吃音親子サマーキャンプを通して子どもたちが紡ぎ出す言葉や語りのなかに「吃音とともに生きる」文化を発見し、触発されてきた。こうした経験、実践をナラティヴ・アプローチ、当事者研究の角度から整理しようとしたのが、これまでの吃音講習会だった。
 そこから見えてきたのは、吃音をからかわれ、音読や発表で苦労する困難な状況の中にあっても、立ち直っていく、元気を回復していく子どもたちのサバイバルする姿だった。私たちは子どもたちが見せるこのしなやかな力は、精神医学・臨床心理学の領域で注目されている「レジリエンス」の概念として理解できることを知った。
 ナラティヴ・アプローチに関する著作、翻訳を数多く出版されている、精神科医の小森康永さんから教示されたことだ。
 今回の講習会は学校心理学のパイオニアである石隈利紀さんをゲストに迎え、「子どものレジリエンスを育てる」と題して、レジリエンスについて学び、幼児期・児童期の実践に活かしていくことを目的に開催した。

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受講者の感想
 8月の講習会ではお世話になりました。
 今回参加を決めたのは、ことばの教室担当になって、始めて吃音の児童を担当したことと、テーマである「子どものレジリエンスを育てる」に興味をもった殻です。 2日間の講習会を通して、吃音に対する取り組み方、レジリエンスの考え方などを、しっかり学ぶことができました。
 伊藤先生や石隈先生のお話を直接聞くことができたこと、お二人の対談を聞くことができたこと、グループワーク、どれも勉強になりました。 ことばの教室での方向性に悩んでいた部分もあったので、牧野先生の「ことばの教室は、生き方研究所」という言葉にも勇気づけられました。
 この2日間で得たものを職場や、子どもたちの指導へ還元していけたらと思います。
 何より、伊藤先生のお考えである「あなたはあなたのままでいい」という雰囲気が、会場全体に拡がっていて、居心地のいい2日間を過ごさせていただきました。 ありがとうございました。
千葉県 ことばの教室教員
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第5回 講習会資料

吃音にとって、なぜレジリエンスなのか 日本吃音臨床研究会会長 伊藤 伸二
レジリエンスとは
 21世紀の精神医学で期待されるのが、明確な予防・治療的視点を打ち 出す「レジリアンスモデル」だ。
 この特徴は、発病の誘因となる出来事、環境、病気そのものに抗し、跳ね返し、克服する復元力、回復力を重視・尊重し、発病予防、回復過程、リハビリテーションに正面から取り組む観点を持ち、心身複合体としての 個人に備わる復元力、回復力を引き出し、統合的な観点から柔軟な前向きの仕方で治療にとりくむ理論をもつ。
 精神科臨床の実践では、「脆弱性モデルから、レジリアンスモデルへ」、「ストレスモデルから、レジリアンスモデルへ」、精神医学の治療論、回復論を正面から見据える方向でのパラダイムシフトが要請されている。
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ナラティブとは何か? 滋賀県立大学人間文化学部人間関係学科教授 松嶋 秀明
> 物語、語り
  • 書かれたもの

  • 語られたもの

  • 語り
  • 語るという行為
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    リジリアンスの⼼理学 滋賀県立大学人間文化学部人間関係学科教授 松嶋 秀明
    resilience
    ・困難あるいは脅威的な状況にもかかわらず、うまく適応する過程、能⼒、または結果(Masten,Best & Garmezy, 1990)
    ・重⼤な逆境のもとで、⾃らの幸福を維持するための⼼理的、社会的、⽂化的、そして⾝体的資源に舵をとる能⼒、およびそれらの資源が⽂化的に意味のある仕⽅で提・供されるよう個⼈的にも、集団的にも意味を交渉する能⼒(Ungar, 2011)
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    子どものレジリエンス 筑波大学 石隈 利紀
     この資料は、昨年の第4回吃音講習会で石隈先生が行われた講義「子どものレジリエンスを育てる」の中か ら、特に「レジリエンスとは何か」という部分を抜き出し、配布資料(パワーポイント)に先生の講義内容を 書き加えたものです。今年度の講習会で、レジリエンスについてさらに学ぶにあたって、参考になる部分が多 いと考え、このような形でまとめました。
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    吃音と発達障害、障害者手帳 国立特別支援教育総合研究所 牧野 泰美
    1 . 発達障害という概念
    〇狭い捉え
    〇発達障害者支援法の捉え
    〇学問としての捉え
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    吃音と発達障害について 宇都宮市立陽東小学校 高木 浩明
    1 発達障害とは?
    1)より広い領域で捉える
     日本では「発達障害」は、自閉症スペクトラム(ASD)、注意欠陥多動性障害(ADHD)、学習障害(LD)のいずれか、あるいはそれらを総称する「ことば」だと、一般的には思われている。けれども国内の研究者や欧米においては、発達障害とは「発達途上の道筋で生じた発達の乱れ」であり、「発達過程で生じたあらゆる障害が対象であり、精神遅滞や脳性麻痺も含んだもの」と認識されている。
     そのため「発達障害のある人の雇用管理マニュアル」(H18.3:厚生労働省編著)第一章「発達障害とはどういう障害ですか?」では、こうした考え方をベースに、非常に幅広い領域を発達障害の対象としている。具体的に各領域とそこでの医学的診断名を挙げると、①認知の発達領域-精神遅滞、境界知能②学習能力の発達領域-学習障害③言語能力の発達領域-発達性言語障害④社会性の発達領域-広汎性発達障害⑤運動の発達領域-筋ジストロフィー、脳性麻痺⑥手先の細かな動きの発達領域-発達性協調運動障害⑦注意力・行動コントロールの発達領域-注意欠陥多動性障害となる。
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    吃音を生きるということ~子どもたちのレジリエンス~ 千葉市立花見川第三小学校 教諭 黒田 明志
    はじめに
     大学生の時に初めて、自分がどもることを意識した。アルバイト先のコンビニのレジで、急に「ありがとうございます」が言えなくなった。他にも「おはようございます」や「お疲れ様です」「お先に失礼します」が言いにくい。これは何だろうと不安に感じつつも、バイトを含め何とか大学生活を過ごしている中では、それほど深く悩むことはなかった。そんな私がことばの教室の担当になり、そこでようやく自分のこの言いにくさが「吃音」「どもり」だと知った。
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    第45回全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会全国大会島根大会大会分科会当日配布資料
    子どものレジリエンスを育てる NPO法人 大阪スタタリングプロジェクト 坂本 英樹
    はじめに
     ここ数年、発達障害者支援法の支援の対象に吃音が含まれた認識が広がってきたこともあってか、吃音に関するニュースが新聞で取り上げられ、テレビ番組でも特集されることが増えてきた。また、どもる人を主人公とするドラマ「ラブソング」が2016 年 4 月から 6 月まで全 10 話で放映された。しかし、これらの報道等は世間の耳目を集めるためにセンセーショナルに、あるいは面白おかしく構成され、どもる子どもをもつ親に少なからぬ動揺を与えているように思う。
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    第6回 講習会資料

    将来を展望しての、どもる子どもへの支援 日本吃音臨床研究会会長 伊藤 伸二
    吃音は、どもる程度も、吃音から受ける影響も、大きな個人差があります。 かなりどもっていても、話すことの多い仕事に就いて、豊かに生きている人がいます。 一方、親も伴侶も吃音と気づかない程度の人が吃音に深く悩んでいます。吃音は、症状が軽減することで生きやすくなり、悩みが少なくなるような単純なものではありません。 どもる程度と、吃音の悩みや生活への影響の程度には相関関係があまりありません。 ...ダウンロードして続きを読む
    ことばの教室の実践を基にした<対話>を巡る考察 国立特別支援教育総合研究所 総括研究員 牧野 泰美
    1.今回の講習会のテーマ「対話」をめぐって
    ・どんな臨床も「対話」は柱であるはず・・・
    ・「対話」を通して、自己を発見できる
    ・「対話」を通して、課題が引き出される、整理される
    ・「対話」の材料、「対話」の形は、様々にある
    ・「自・他」と「自・我」、「内なる他者」
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    どもる人のため大阪吃音教室実践 大阪スタリングプロジェクト 東野 晃之
    大阪スタタリングプロジェクトの大阪吃音教室では、どもる人が、吃音との上手なつき合い方を学ぶために、年40回程の吃音講座を中心したスケジュールを組んでいる。
    そのうちの「自分のどもりの課題を知る~言語関係図を通して~」の実践を報告し、「哲学的対話」について考察したい。
    報告にあたっては、大阪スタタリングプロジェクトの機関紙「新生」2017年3月号巻頭、大阪吃音教室だより「自分のどもりの課題を知る~言語関係図を通して~」、7月・8月合併号巻頭より引用した。 ...ダウンロードして続きを読む
    対話をふり返って 千葉市立院内小学校 渡邉 美穂
    私は、ことばの教室で初めてどもる子を担当した時のことを思い出した。
    どもっていることについて、全く話すことができずひたすら遊んでいた。
    子どもと仲良くなるために必要なことだと思っていたが、今思えば子どものご機嫌を損ねないようにしていたと思う。
    「仲良くなれば、きっとどもることを相談してくれる」と子ども任せになっていた。
    結果的に、子どもは「遊ぶところ」とことばの教室のことを思ってしまい「話す」「対話する」ということが益々難しくなってしまった。
    今、子どもとの「対話」を具体的にどうすればいいのか考えてみた。
    実際の様子をふり返り、「対話」について考えてみようと思う。
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    いま、ことばの教室でやっていること 宇都宮市立陽東小学校 髙木 浩明
    ことばの教室の日常
    今年度、11人のどもる子どもたちがことばの教室に通っている。
    学年や通級期間、さらには子どもたちのどもりに対しての思いや考えも違うので、ことばの教室でやっていることも様々となる。
    ただ、そうした中でも通級を始めたばかりの子どもたちとは、「吃音っていった何だろう?」「どもる人はどんな生き方をしているんだろう?」とまずは吃音やどもる人のことを知ることに焦点を当てることが多い。
    そして、どもる人は100人にひとりいることや、『吃音ワークブック』(解放出版社)の治療法や職業のワークなどに取り組んだり、吃音の氷山を一緒に考えたりする。
    それに対して、もう少し通級期間の長い子どもたちの場合は、「なかなか教室で発表できない」「まわりの子たちにどもりのことを知らせたいけど、思うようにいかない」「今は大丈夫だけど、大人になってからが心配」といった、子どもたち自身が感じている自分の課題やテーマについて、一緒に考える時間が増えてくる。
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    来たるべき対話に向けての二日間の対話 大阪スタタリングプロジェクト 坂本英樹
    講習会のテーマについて桑田省吾さん(神戸市立本山南小学校)
    今回の吃音講習会のテーマは「対話」である。教員は「ことばの教室」に通ってくる子どもとどう関わっていけばいいのか、親はどもり始めた子どもの疑問にどう向き合えばいいのか。
    そこに求められる関係性、態度こそが対話であると私たちは考える。
    挨拶で実行委員長の桑田省吾さんは自身も言葉がスムーズに出てこない、うまく喋れない半生を過ごしていたことを語った。
    桑田さんが自らの吃音体験を言語化できるようになったのは小学校教員となり、吃音と向き合う子どもと出会ってからである。
    子どもたちと紡いでいく言葉によって、桑田さんは過去の自分とも向き合った。
    対話はいま目の前にいる相手との間になされると同時に、自己内対話として過去の自分とも行われるものだ。
    こうして桑田さんは吃音とともに豊かに生きる文化を子どもとその保護者、そして今回の講習会を企画、運営している仲間と模索している。 ...ダウンロードして続きを読む

    第7回 講習会資料

    学童期の吃音指導
    ~ナラティヴ・アプローチによるどもる子どもとの対話~
    日本吃音臨床研究会会長 伊藤 伸二
    学童期の特徴
    エリクソンのライフサイクル論
     学童期 勤勉性/劣等感 思春期自己同一性の形成/自己同一性の拡散
    アドラー心理学
     劣等性 劣等感 劣等感の補償(直接・間接)  劣等コンプレックス
    どもる子どもとのナラティヴ・アプローチ的な対話
    困難や問題を抱える人が物語るストーリーが、その人の人生を形作っている。こう考えて、そのス トーリーを書き換えるための素材を一緒に探し、新しいストーリーを一緒に書き換えていく。
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    子どもとの関わりにおける「対話」への期待、「対話」の可能性
    子どもとの「対話」における関わり手(親・教師・言語聴覚士)の役割
    国立特別支援教育総合研究所
    上席総括研究員 牧野 泰美
    1.新学習指導要領を盾に
    2.「自立活動」を考える
    3.「対話」をめぐって
     ・どんな関わりも、どんな臨床も、「対話」は柱である
     ・「対話」を通して、自己を発見できる
     ・「対話」を通して、吃音を、自己を、そして吃音のある自分(どもる自分)を対象化できる
     ・「対話」を通して、課題が引き出される、整理される
     ・「対話」の材料、「対話」の形は、様々にある
     ・「自・他」と「自・我」、「内なる他者」
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    自分のどもりの課題を分析する 大阪スタリングプロジェクト 東野 晃之
    1.とらわれ度、回避度、人間関係の非開放度のチェックリストの目的
     日常生活の中での吃音の影響、吃音に対する意識を把握し、吃音の課題に気づき、対策につなげる。
     ・吃音の評価は、どもる状態ではわからない。→ 吃音の変動性(どもる調子の波現象)
     ・どもる状態と悩みの大きさは比例しない。

     ・日常の生活態度を把握し、問題を整理し、行動を変えていくことは可能。
    2.どもる状態と悩みの大きさは比例しない。
     ・言語関係図から考える。
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    吃音のある子どもたちのセルフヘルプ・グループ活動の展開(I)
    ~吃音親子サマーキャンプの実践から~
    大阪スタタリングプロジェクト
    坂本英樹
    1、はじめに
     吃音は人類とともにある現象である。日本における吃音臨床は 1903 年の伊沢修二による「楽石社」 の創立が始まりである。以来一世紀になるが吃音の原因はいまだにわからず、治療法は確立されてい ないのが現状である。それは、どもる人にとってこれから自分はどうなるのかという「生きられた問 いに手早く答えられるような大きな物語が、専門家の側からは提供されないという事態」(伊藤智、 2005)であることを意味している。
     1966 年にはおそらく世界で最も早い段階で誕生した、どもる人たちのセルフヘルプ・グループ「言 友会」が創立されている。同年、その大阪支部が生まれ、現在は「NPO 法人大阪スタタリングプロジ ェクト」という名称で独自に歩んでいる。このグループがことばの教室の教員や吃音の研究者、臨床 家たちのネットワークである「日本吃音臨床研究会」に協力する形で開催されている、「吃音親子サマ ーキャンプ」という二泊三日のキャンプが今年で 29 回目を迎える。 自身の吃音と向き合うキャンプという場において、子どもたちが受け取るものは何なのか。キャン プという子どもによるセルフヘルプ・グループ活動を通して、子どもがどう自己変容していくのかを 明らかにしていきたい。 ...ダウンロードして続きを読む
    子どものレジリエンスを育てる どもる子どもとの対話 大阪スタタリングプロジェクト 坂本英樹
    今回の講習会の特徴
     第1回と同じ場所での今回の吃音講習会、一周しての「新たなスタート」を切った。これまでの講 習会は論理療法の石隈利紀さん(筑波大学名誉教授)や「ナラティブ・ベイスド・メディスン」の斎 藤清二さん(富山大学保健管理センター教授・当時)など、私たちの実践の背景となる考え方、理論 についての第一人者からの講義を一つの柱としてきたが、今回は外部からの講師を招いていない。提 案・演習の内容のすべては、この講習会のスタッフのことばの教室と、共催者のどもる人の大阪吃音 教室で日々実践されているものだ。運営も内容自体もすべて自前というのが新しさだ。
     実行委員長、千葉市立院内小学校ことばの教室の渡邉美穂さんが「この講習会は進むにつれてどん どんプログラムが変わっていくミステリー・ツアーです」という冒頭挨拶は冗談ではなく、この講習 会の本質を表している。私たちは話し合いを重ねたうえで提案や実践報告等を用意しているものの、 当日の参加者とのやり取りを通して柔軟にプログラムを展開することをその流儀としている。 ...ダウンロードして続きを読む


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